池江璃花子選手

去年は6月に目の手術をして夏を棒に振ったので、今年に賭けてえいたのにコロナ騒ぎで海行き自粛ってな事態に。
まいあ、今年もたとえ行けたとしても波乗りできたかどうかわからない。
とにかく体力が落ち過ぎてしまった。
朝起きたら腰は痛いし薬のせいだか何だか知らないけれど眩暈というかフラついたり、足が上がっておらずに躓いたり。
もはや老化のオンパレード状態。
こんな状況になって海へ行けないってのは良かったのかもしれない。
テメエの意気地のなさが忘れられるからな。

昨夜、水泳の池江璃花子選手のドキュメンタリーを見たが、恐れ入りましたのひとこと。
今年の3月なのか彼女が水着になった時の身体を見て驚いた。
完全に筋肉が落ちていて普通の女の子以上に痩せているではないか。
顔は確かに水泳選手の池江璃花子さんだが身体は全く別人のようだった。
それでも筋トレをして復活しようと努力している姿を見て・・・・・。
歳を理由に諦めているヤツにとって彼女は雲上人だ神だ。
語ろうと思えば何でも言えるけれども恐らく上っ滑りなくだらないことしか言えないだろうからヤメル。
池江璃花子さんに失礼だ!

そうれもそうだな

精神科医で映画監督の和田秀樹氏がラジオでこんなことを言っていた。
「それもそうだな」は魔法の言葉だと。
誰かと話をしていて議論が白熱した時にどうしても相手の言うことを否定してしまいがちになる。
アタシの場合は相手の言うことに「否(いや)」を付けて反論しようとする。
これではお互いに自己主張をしあうだけで不毛な議論となってしまう。
そんな時に「それもそうだな」と考えると視点が開けると言うのだ。
納得できるなぁ~。
「それもそうだな」は相手の主張を全面的に受け入れたわけではないし真っ向から反論する訳でもない。
かと言って東大話法とは違う品がある。
これはいろいろなシーンで使えそうだ。
嬉しいフレーズを教わった。

桜と🌸

まだ少し蕾が残っているから9分咲きかな?
毎年ここは桜がきれいに咲く。

宴会を催す連中が居ないのが不思議なくらい。
今年はコロナ感染症とやらの影響で土日となると例年よりも多くの似非キャンパーが来るけれど桜には今日にを示さないんだねぇ。
何だか歪な気がするが。
上野には随分と花見客が出たようだけど、この陽気だもの仕方のないところだけど風情は全くないわな。
ところで自粛って何だ?
自粛要請ってのはなかなか考え抜かれたメッセージに思えるんだなぁ。
最終責任はテメエらで取れよって事だよね。
お上にしてみりゃ「自粛要請をしたのにそれに従わなかった国民が悪い」って逃げ口上が取れる。
また一方では「政府が生ぬるい自粛要請なんてなことを言ってたからこんな事になった」と批判された場合には法整備が不十分だからこんな事になったとして緊急事態宣言発動の必要性を主張できる。
いずれにしても誠に結構な“要請”なのですな。
バックにどこの誰共が付いてるのか知らないけど良く計算されてるわな。

魔が差すということ

カブちゃんを連れてお散歩に出た。
家の前の道路、手前の車列は渋滞で止まっているので横断したら対向車側に車が迫っていた。
いつもなら少し離れてはいるが対向車側の車線の信号が赤になるまで待つのに、なぜか今日は横断しようとした。
後で冷静になって考えてみると、犬を連れていたら俊敏な動きなどできない。
にもかかわらず冷静に状況判断をしなかった。
これを魔が差すというのだろう。

コロナウィルス禍に見る未来

ここに我先にとマスク、ティッシュペーパー、トイレットペーパーを大量に買い漁る人々の姿がある。
一方、置いてけぼりにされている社会的弱者の姿はない。
高齢者、障碍者、生活困窮者、病気を持つ人や一人親家庭の親など、生活のためには仕事を休めない沢山の人々はこのレースに参加する事すら許されない。
そして今の日本にはこうしたレースは日常的に開催されている。
一億総中流が一億ほぼ貧困に至るまでに要した時間はわずか50年。
この先好転を確信する人はもちろん期待する人すら居ない世の中。
人々は弱者を気遣う余裕など無くなり、弱者を切り捨てる政治に目を向ける余裕すら無くなる。
資本主義の終焉はすぐ目の前だ。

記憶にない思い出

犬を連れて散歩に出た夜。
記憶の奥にある香りに会った。
明らかでない記憶の中の淫靡な香り。
ほんの2、3歩あるく間だけ。
2、3歩あるく間に記憶ではない得体の知れない思いに捕らえられたとも言うべきか。
しかしそれは十分に苦しい。
ほんの2、3歩あるく間だけ鼻腔の中の敏感なエリアに届いた。
その香りに戻ろうとして歩くあいだ締め付けられるような想いと甘美な気持ちが私の胸の中で渦巻いていた。

20代半ば、記憶に残らない思い出がいっぱいあったんだなあ。
こんな思いに囚われるのは先がなくなってきたからか。

昔はよかったじゃ語れない。
あの香りは何だろう。
甘いような酸っぱいような。
ディスコの帰りだったのかな。
記憶にない思い出の女の匂いか。

走る人

10時35分おっさんは駅に向かって走る。
もう5分早く出りゃいいのに。
暑い日も寒い日も毎日トコトコ。
わからん。

新型コロナウィルス

新型コロナウィルスによる肺炎が流行してるってんで、視聴率稼ぎや購読者拡大に躍起となっているおバカなマスゴミにとっては勿怪の幸いとばかりにTVは朝から晩までコレばかり、まさにバカの一つ覚えでネタ元が不確実なYouTube動画を垂れ流し、これまたおバカな国民たちの不安感を煽り立てている。
普段なら中国国内の情報の真偽を疑い、情報統制に批判的なくせに毎日流している映像はそんなネタ元から出たものばかり。
当然事実関係の調査などしていまい。
これで報道と言えるのか?
ご都合主義もいいところだ。

しかい、こんなバカ騒ぎを見るにつけ安倍晋三という男の悪運の強さを痛切に感じる。
これまでも政治的な問題が表面化しそうになると芸能界のスキャンダルを大盤振る舞いしておバカな国民の関心事を巧みに逸らしてきた。
しかし今回の「桜を見る会」に絡む問題は政権(官邸独裁体制)の中枢に及ぶ事案に発展しそうであった。
其処へ来て今回の新型コロナウィルス狂騒曲である。
さすがの安倍晋三もこればかりは意図的に仕組む事は出来なかっただろうけれど、絶妙のタイミングだと言わざるを得ない。
桜ばかりでなくこの2,3日では辺野古の地盤データ改ざん、敦賀原発2号機の地質調査データの改ざん問題、まだまだ広がるであろうはずのIR汚職などなどの問題はTV、ラジオを含め完全にスルーである。
北朝鮮、中国並みの見事なまでの言論統制である。

2/8東京新聞朝刊の師岡カリーマさんのコラムによれば、この冬の米国内インフルエンザ感染者は約1,500万人うち20,000人が死亡している(致死率0.13%)とのことである。
一方、新型コロナウィルスによる肺炎での致死率は、中国国家衛生健康委員会によれば2/6時点で武漢市を除く中国国内の0.17%とのこと。
一方は米国で毎年流行している感染症。一方は彼の中国で発生した感染症。
どの国の政府も米国人の入国拒否はしまい。
どの国の国民も米国人というだけで暴行はすまい。
“差別”という言葉が浮かぶ。

24時間営業

すかいらーくHDがガストとジョナサンの24時間営業の中止を発表したそうな。
一部のコンビニに続いてファミレスも時流に乗ってという事だと簡単に看過してはいけない。
今でこそ当たり前になってしまったが一年中365日24時間営業というのはただ事ではない。
夜中まで働いて家路につく消費者や利用者にとってはこの上なく有り難い存在であり、働き手にとってはそこで夜中まで働かなければ生活できないという事情がある。
そして企業側はその社会背景を利用して大きな利益を上げてきたということだろう。
明るくなったら働き、暗くなったら寝る。実はこれが動物としての人間のありのままの姿だ。事実そうした生活リズムで人類は500万年前から生きて進化を遂げてきている。
それが崩れ始めたのはほんの百数十年前のことだ。
やはり今が異常事態なのだ。
夜中まで働かなくては生活できない社会を作り、そこで働かざるを得ない生活状況に人々を追い込み、それがさも当然だというような社会的風潮と社会制度を作り上げ、自分たちは莫大な不労所得を得てそれを経済発展だと嘯く輩が跋扈している時代。
それが今だ。
自然の法則から外れてしまった我々人類に本当に明るい未来はあるのだろうか。
老い先短いアタシにとっちゃどうでも良いが、事は異常気象だけではないように思う今日この頃だ。

Carlos Ghosnの逃走劇

カルロスゴーンが 不法に出国したということでマスコミは大騒ぎしているが、見方を変えればカルロスゴーンに逃げられたあるいは逃したわけで、その責任の所在をはっきりさせるべきだろうと思うが、そうした報道はほとんどない
東京新聞の報道によるとプライベートジェットでの出入国は日本では非常に容易らしい。
特に関西空港は荷物の検査などもほとんどスルーするということだ。何故なら円滑な経済活動を阻害しない為だそうだ。
何とも取って付けたような理屈だが事実だ。
これでは密輸は簡単にできてしまう。そこを突かれるのが嫌で報道の矛先をゴーンに向けさせてるのではなかろうか。
昨日カルロスゴーンが日本の警察、検察を批判するような記者会見を開いたことに対して墓穴を掘るような言い訳的反論をするばかりで自分たちの不始末の反省はまるでない。
これこそが問題なのではないのか。